お化けと殿様
お正月のご挨拶にお城の殿様がやってくる。
アタマを禿頭にまとめた殿様は35歳のプチセレブで、近所では評判の伊達男である。
欠点といえば、みてはいけない物をよく、みてしまうところか。
上司の浮気、OLのスッピン、
胸囲120センチが自慢の男の携帯の待ち受け画面の子犬とか、今までいろいろな見てはいけないものを見て来た殿様は、
最近では妖物もみるようになった。
なに、幽霊かなんか。 いや、幽霊とは少し違うんですな。
かの妖物は午後五時から六時の夕闇に乗じてお城の天守閣に現れる。
私はコーヒーに課長のお土産の東京タマゴを添え、受付男とわくわくしながら話の続きを待った。
それはおとといの午後三時でしたな。
殿様はコーヒーを一口啜り、そのように「天守閣の怪」について話を始めたのだった。 私はおやつの東京タマゴを殿様の手元に寄せては見るのだが、殿様はこれを好まないらしく、丁寧に額を下げながらも食べない。
家来どもと一息つけているときのことです。
「一息つける」とは三時のおやつのことらしい。 殿様は輸入雑貨の小さな会社を経営しており、パソコンが三台、プリンターが二台、大型カラープリント複写機が一台、デスクが五十台、というまあこじんまりとしたオフィスをお城の一角に持っている。 デスクが五十台、というのにはもちろん、わけがある。
家来どもには、オールド・ファッション・ドーナッツをそれぞれ二つ、
私はマリー・ビスケットにコケモモのジャムを塗った物を、おやつに食べておりました。
そういって殿様はひとつ、間を置いて、
家来どもは、ドーナッツが好きでしてな。
とぽつんと言った。
殿様の50人の家来はみな同じ顔をしている。
二十五回、二十五回クローニングいたしました、と前に殿様から聞いている。殿様は、この家来達をとても愛しているのである。
家来の一人が、天守閣に何かがいる、と申すのです。
その家来は25回目のクローニングで生まれた双子の兄のほうで、右の頬に黒子がある。
黒子?
受付男が反応した。私は「あ」とは思いつつも口には出さなかった。
殿様は受付男の目を、トルコ石のような色の妙に平板な瞳でじっとみつめてから、何もないように話を続けた。 天守閣に何かがいる、と言ったのは実は黒子のある家来ではなくて、その家来の双子の片割れの方であった。25番目のクローニングで生まれた、双子の片割れである。こちらには黒子は無いが、代わりに頭のつむじがみっつある。
その頭のつむじがみっつある家来は、自分の双子の片割れが最近、無口になったことを嘆いていた。無口と言うよりは、とその家来は言った。反応がなくなってきたのです。 黒子のあるその片割れは、先年の秋ごろに一人でふと天守閣に登り、降りてきてより外界にほとんど興味を示さなくなっていた。もとよりその双子は控えめな方で、ほかの家来達も殿様も、この家来の変化には殆ど気がつかなかった。 話しかけても答えず、触っても動かず、飯をよそっても見向きもしない。心配の余り片割れが頬を幾度か張ってみたのであるが、それも全く効かない。 以来縁側などに腰掛けて、水ばかり飲んでいる。 程なくして、肌が緑色に苔むしてきた。
小さな声で、天守閣が、とか、小さな女の子、大きなあお魚、などというのです。
平らかな額に深くしわを寄せて、殿様は言った。私たちは仕事をしながら、耳だけを傾けてその話を聞いていた。昼休みはとっくの昔に終わっていたのだ。
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(間奏)
私は幽霊とか妖怪とかを見たことが無い。
全然ない。
「でも信じてるでしょう」
受付男が言う。信じるも何も、幽霊よりは私はこの男の方が謎である。
「信じている物もないのよ」それが悩みである。ナニが信じるという、
2人羽織で食べる闇鍋のような分かりづらいことの対象となる物か。
「でも便利なこともあるのよ」
私はどんな怖いところでも一人で行ける。どんな因縁話も怖くは無い。
ジンクスも軒並み無視する。占いは鼻で哂う。
「よっぽど、守られているんだよ、きっと」
受付男は言う。
怖いところ
(人死にがあった部屋、事故の多発する山奥のトンネル、
土砂くづれがあったまま廃墟のホテル、集団自決があった防空壕のあと)
に行っても平気なのは、そうとう強い守護霊がついているからなんだと。
「僕はこわい」
怖くて仕様がないという。見えるというよりは、「聞こえるんだよ」
受付男は夜、事務所のロッカーの中に隠れて眠る。耳にしっかりとイヤホンをもぐりこませ、
ビリー・ジョエルの「ピアノマン」をエンドレスで聴きながら。
「そんなあんたが私は怖いわよ」
私は笑えてしまう。
なんにも怖くない、夜の道を歩きながら、私がもっとも強く感じるのは、
誰にも守られていない、ということだからである。
私はかつて誰にも守られたことなど無い、という強い確信だからである。
(間奏終り)
妖物といったら私は、でかい首をした坊さんやら手ぬぐいを被った女だのという物しか見たことがありませんでな。
殿様の話は続いている。とうとう夜になり、私は殿様と(嫌がる)受付男を事務所から連れ出して、近所の「いたちや」という居酒屋のカウンターに収まり、話の続きを聞くことにした。生中にポテトサラダ、イカげそと茗荷のおひたしを頼んで乾杯する。殿様は肉じゃがと冷やしトマト、受付男はなまこ酢などを頼む。受付男は焼酎に私のビールを混ぜ込もうとする。早く酔いたいの、聞くと居心地が悪そうにうなづく。
坊さんにはすごろくで負けまして、とうとう伝来の伊万里をやられました。まあひとつ傷物になっておったやつでしたが。坊さんはその伊万里の入っておった化粧箱だったらしいですな、朝になったらその傷物と化粧箱が残りの皿だけ残して消えておりましたから。
女は?と聞くとそれが、と笑う。朝早くのオフィス街の、ビル風の陰惨に吹き付ける駐車場に、「出ました」。クリスチャン・ディオールのスーツを隙無く着こなした「足の細い」女が、黒い長い髪と白い顔を手ぬぐいに隠して蹲っている。手ぬぐいには「にくまれてながらうるひとふゆのはえ」と昔の句が淡く染め抜かれている。
手ぬぐいと女といえばいたちか狢と相場が決まっている。なるほど女はスーツの袖で「手の甲を隠して」いたという。それにしてもディオールに手ぬぐいとは。
殿様はそのビルの五階に住むオーナーと四時まで呑んで、帰るところであったが、その女の風体にいたく感心した。「この場に溶け込もうとする奥ゆかしいルックス」と、「どうしても譲り渡すことのできない手ぬぐい」とに。
それで声を掛けずにそっとして置いたという。
帰ってみたら、片腕の毛が一本もありませんでしたな。
笑いながらビールを呑み、小さな一人分の豆乳鍋とタコの煮物を三人でつつきながら、私と受付男は殿様の話を待っている。
殿様とその御家来が天守閣で見たのは、いたちだの狢だのお皿の化粧箱だのというものではなかった。
顔に黒子のある家来の片割れ(頭につむじがみっつある)と、エレベーターで天守閣に昇ったのです。
エレベーター?
さよう、昨年バリヤフリー工事をいたしました。まあ年よりはいませんがな。
ははははは、と笑う合間にポテトチップを口に放り込む。殿様はなるほど今も昔も俗世の成功者である。
天守閣というところはガランとして天井も低く居住に向かないところである。もともとが籠城して進退きわまったときに、城主の自害して果てるところである。「陰惨な場所ではあるのです」そこで殿様の見たものは、
まず音に気が付きましたな。ぶーんと、ぶーん・・・これは空調の音でした。それからぴぴぴぴぴ、これはコピー機の紙詰まり。
部屋の隅である。薄暗い一角に蛍光灯の明かりが溜っている。それは丁度箱庭のような物を、上から覗いているような次第である。箱庭は長方形で、机が50台、パソコンが三台、プリンターが二台、大型カラープリント複写機が一台・・・。
「これは、私どものオフィスですね」
家来がふと言った。箱庭の中では、小さな殿様の五十人の家来達がそれなりに忙しく働いている。「なんというか」
これもまた、オーソドックスな妖物ではありました。
それから?「それから」、床に座って二人が箱庭に見とれていると、突然男性テノールで「アベ・マリア」が流れ始めたかと思うや、床から桜が生え、瞬くうちに大木に化けた。爆発的に枝が伸び、つぼみが生き物のように膨らんだ。何かを吐き出すように一斉に花を咲かすと、歯がぼろぼろ抜け落ちる格好で一斉に散るのであった。「気持ちの悪い物でした」桜は好きだが、これで少々トラウマになったという。箱庭もどこかに消え、天守閣の中は桜で一杯となった。「アベ・マリア」が終わると次は「グリーン・スリーブス」が流れ、ひとしきり青葉を茂らせてから桜はふと消えた。
枝や葉や根に絡まりとられていた家来と殿様が呆然としていると、天守閣の小さな明り取りから夕方の薄藍が沁みてくるのであった。
部屋の隅にはいつのまにか箱庭が戻っていて、其処では殿様と家来達が仲良くおやつ(殿様はマリー・ビスケット、家来達はオールド・ファッション・ドーナッツ)を食べている。
なんとなく興が醒めまして、そのまま置いて去りました。
なんだ、と言いたげな私と受付男の顔を交互に見、そっと燗酒を注いでくれながら、殿様は言った。「正体はわからずじまい」。
体に苔が生えてきて、うわごともつぶやくようになった黒子の家来は、「苔を毟って、風呂に入れ、オロナインを塗ったら」ほどなく良くなったという。話し振りもだんだん落ち着いてきた。「やれやれ」と受付男が言った。
それ以来天守閣は開かずの間になっている。ことに一人で昇るのは厳禁である。「それさえ守らば」、まあ問題というほどのことは無い。
「それにしても」と殿様は長い話を締めくくる。
あの箱庭は、見事な物でした。
事務所に帰る受付男を送っていく。
いいよいいよひとりでかえれるよ、という受付男を黙って送っていく。受付を離れた受付男はとても弱そうに見える。お土産に買ったカップ酒を持たせ、「じゃあね」といって裏口に押し込んだ。私も受付男も相当酔っていて、足元が危うかった。「おくらなくてだいじょうぶ」、受付男は言うが、事務所に一度入ったこの男にそんなことを本気でする気が無いことは分かりきっている。いいよ、はやく寝な、とぞんざいに言ってから、手を振ってトビラを閉めた。酔った頭に「がしょん」と誇張された音が駆け巡る。
夜道をふんぞり返って歩くアルコールに満たされた私の視界の隅には、正体不明の妖物と伊達者の殿様と五十人のクローン家来達を内包する、謎のお城の天守閣が切り絵のように黒く引っかかっているのであった。
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終り
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受付男の失恋
1.
受付男がしばらく同じ歌を歌っていると思ったら、
案の定受付男は恋に落ちたらしかった。
その証拠に、受付男は受付の仕事をうっちゃり、
私にその代役をするよう因果を含めた後に、
こりこりと恋文を書き始めたのである。
受付男の恋には様式があって、
@一目ぼれをする
A同じ歌を何万回も歌いだす
B恋文を書く
C恋文を渡す
D失恋する
とまあ大体この様な順序で始まって、終わる。いつも、必ず終わる。
受付男の恋が実ったためしは無い。
これは受付男の書く恋文に原因の一つがあるのであるが、
そのことに受付男は気が付いていないのだった。
良い気分で歌っているが、それはこんな歌なのである。
Well,they'll
stone ya when you're thing to be so
good.
(あんたがよくしようとするとやつらは石で打つだろう)
They'll stone ya jusut a-like,they said
they would.
(いったとおりにやつらは石で打つだろう)
But I would not feel so all
alone,
(だが私は寂しいとは思わない)
Everybody must get
stoned.
(だれでも一度は石で打たれるべきなのだ)
(Bob Dylan "Rany day women #12 and
#35" 1996 [The best of BOB DYLAN volume2] 2000、ソニー、より。訳詩中川五郎、終わり二行は私)
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2.
午后に不快な客が来た。この男は鋭い目をした礼儀正しい男で、決して語気を荒げることをしない。
風采は年老いてはいるが堂々としているし、顔立ちも端正で、声もよく通る。
私には理解ができないがこの男を尊敬する人々もいるようで、いつもそのような取り巻きと一緒にいる。
しかしこの男の持つ残酷さと暴力性は、いつも私の産毛を逆立たせる。
それは、温かいミルクの底に沈んだ黒いいやらしい虫のようなものを、茫漠と私に思い出させる。
客は時間が無いことを告げた上で、驚くほど沢山の手続きをするように私に命じ、
いらなくなったゴミを棄てにきたようにさっと去ろうとした。いつものやり方である。 ちょっと待ちなさい、あなた、確認をさせなさい。
私は言う。男と、事務所の人々が凍りつくのが分かる。
驚いていないのは、受付男くらいである。
受付男は、私がこの種類の人間を深く深く憎んでいることを知っているのだ。
男の顔色が変る。それは戦闘態勢に入った動物の顔である。
何の確認ですか?男は静かに言うが、その声に憎しみがにじみ出ている。
私は人間が何千年もかかって少しも進化していないことを哀しく思う。
今あなたの提出した書類を完成させる、そしてあなたに確認していただく。よろしいか?
時間がないと言ってるんだ。
あらゆる手続きと契約には確認が必要だ。
それが嫌なら別の世界に行って別の人間として生きればいい。
私は自分の体に残っているありったけの侮蔑と憎悪を込めて男に、
そちらの席に座ってしばらくお待ちなさい、と言う。
この世界には、血が一滴も流されない殺し合いというものがある。
私がこの男から学んだのは、そういうことである。
もちろん私はそのあと事務所の偉い人に呼びつけられて怒られた。
仕方が無い。この人たちには私と男がしていたことの意味が分からないのである。
表面上の静かな会話(そして無礼な私の受け答え)しか見ていないから、
私と男が見えない血をだらだら流しながら互いの命と存在を賭けてぎりぎりの殺し合いをしていたことに気が付いていないのだ。
こんなことが、どのような平和な世界でも今この瞬間も、
絶え間なく続いていることをこの人たちは知らないのである。 結局、この人たちは一度も石で打たれたことの無い人たちなのだ。
勝ったね、と言ったのは受付男であった。
はらはらしたよ、と言いながらコーヒーを淹れてくれる。恋文はどうやら完成したようである。 読んで。受付男が言った。
ワタシハアナタガホシイ ワタシハアナタガスキダ ワタシガアナタノチチオヤデアッタラ、アナタノタメニイエヲタテル ワタシガアナタノハハヨヤデアッタラ、アナタノタメニアタタカイタベモノヲツクル ワタシガアナタノキョウダイデアッタラ、アナタノタメニタンジョウビノハナヲカウ ワタシガアナタノツマデアッタラ、アナタヲミオクルトキニキスヲスル ワタシガアナタノオットデアッタラ、アナタヲイツモホメル ワタシハアナタガホシイ
受付男の恋に未来は無い。この恋文で誰が受付男を恋するというのだろう? しかしそれとは関係なく私はつい泣いてしまう。私は恐ろしいほど涙もろいのだ。
泣いている私を受付男は満足げに見ている。
受付男は分かっていないのだ。
彼の恋が、この恋文を書いた時点でもはや死に絶えていることを。
泣いている私を、事務所の人々は怪訝そうに見ている。
彼らには私がなく理由がわからないだろうと思う。
結局、彼らは一度も石で打たれたことの無い人々なのである。
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かえる |
青い山脈
夜道を歩いていたのだ。 雨の降った後のくらい夜道を歩いていたのだ。アスファルトは未亡人の瞳のように陰鬱にぬれ、どこかからやってくる光を貪欲に求め、古いブーツの靴底を深い地底の底に(もう寂しくないように)引きずり込もうとたくらんでいる。空気はしんとしたシュバルツバルトの森を思わせる冷ややかさ、常に冷たい風を気づかれないように袖口に送り込んでくる。 そんな夜道を歩いていたのだ。
歌を歌いながら。
「ここまで読んで、まさか『青い山脈』が出てくるとは思うまい」 紳士はそう軽蔑的につぶやいた。いきなりだったので足を止めないわけには行かなかった。とめてしまってからしまった、と後悔した。後悔と財形貯蓄は先に立ったためしがない、と思いながら見上げる高さに、紳士の無表情な顔がある。 「『シュバルツバルト』て。ココはどこかな?ジャパンだよ。ジャパンのしみったれた路地裏ではないかね。アレは何だね、ああ駄菓子屋だね、一袋ワンコイン以下のジャンクフード、全く」 言い放つと紳士は「ふっ」と鼻から空気を排出した。この鼻が実に(推定)10センチほどもあり、それがコーヒーポットのように口元にまで美しい弧を描いている。そういえば小さな体に大きなペニスをもつ人のことを昔パリのモンマルトルでは「コーヒーポット」と呼んだとか呼ばないとか、紳士は鼻を誇らしげに(あるいはセクシュアルに)くらい「ジャパン」の空に向けた。 「それで君は何かね、君の歌っているその古臭い歌だよ、ヒドイ歌声だ、それにも増して選曲が最低だ、秋というには恥じるほどに湿っぽいジャパンの秋の夜にだよ、『青い山脈』?なんと云う無神経さだ!」 なぜだろう、いつもの疑問が頭をもたげてくる。なぜ紳士はひとの神経を逆なでするのだろう、なぜあの高く美しい鼻に通っている芸術的な形をしている(はずである)骨を、ブーツのかかとでぐしゃぐしゃにしてやりたくなるのだろう?なぜ? いつものように答えはなかった。鼻と同じように長く美しい骨ばった指を、侮蔑的に振りながら、「大体叙情表現に限界があるのだよ・・・」などと言っている紳士を夜道に置き去りにして、また歩き出した。 歌を歌いながら。
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トモ子ちゃんと私
「いつもより巻きで」(日記掲載時のタイトル)
今日から三連休です。
げんきんなもので休みに入ると元気になってきます。
あ、煙草切れてるわ、ね、トモ子ちゃん。
トモ子ちゃんはネブカトネザル・サルというさる有名なサルである。
トモ子ちゃんの黒く大きな瞳に魅了されて、家族の反対も無視して50万円で購入してから三年になる。
トモ子ちゃんは良く食べよく啼きよく動く。
ほどなく家を追い出された。
それからはすっきりさっぱりホームレス、トモ子ちゃんと橋の下暮らしである。
正確には、橋の下でダンボール・ハウス暮らしである。
世間にひたかくしにしながら生きている。正直辛い。正直、寒い。
今朝もトモ子ちゃんに拾ってきた焼き鳥のくしを渡して朝ごはんにする。
上り行く朝日を見ながら、可愛いトモ子ちゃんもいずれは私の朝ごはん、と私は歌う。
トモ子ちゃんはけなげにも合いの手を入れてくれる。
何の意味もないなきごえが、私とあんたは一蓮托生、と聞こえる。そうかもしれない。
私は舌打ちをして煙草に火をつける、
まあそれもいいかもしれない。
生きてるし。
ぎゃああ(トモ子)
今日も生きてるし。
・・どこが巻いているのよ?伸びてるじゃないの、しかもよりろくでもない方向に;
・・それはそれよ、五右ェ門の髪が巻いてるでしょうが。
・・巻きでいってっていったじゃないノー;
・・知らないわよ、誰なのあんたは?
誰なんでしょうか。あ、煙草買いに行かねば。
ではでは皆様また明日(^^)
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帰る
熊を買う
1.
受付の前で男が熊を売っている。
客寄せに、ボブ・ディランの「フォーエヴァー・ヤング」を歌っている。(メイ・ガッ・ブレス・エン・キーピュウ・オウウェズ・・・)
ギターは無い。アカペラである。
男は受付の前に大胆にござを引いて、其の上で歌いながら熊を売っている。
熊は体調1メートルほどのコドモで、可愛いことこの上ない。
受付男が随分前から受付をサボって熊売りを眺めている。一緒に歌を唱和したりなどしている。(メイ・ヨウ・グロアップ・トゥビ・ライチョウズ・・・)
受付男は受付を主とする男で、住所不定である。会社に寝泊りしている。
たまに偉い人が出張して買ってきたおみやげ物を食べて生きている。他にはとくに何も食べたり呑んだりはしていないようである。
ロビーの喫煙所で煙草(エコー。これも他の人のを分けてもらう)を吸い、ロビーのソファーで眠る。給湯室で風呂に入り、ロッカー室で服を着替えている。
それが受け付け男である。
受付男は私よりはるかに給与を得ていて、社会保険にも入っている。厚生年金も払っている。
しかしだれも受付男の生活態度に文句を言う人はいない。えらい人は当たり前のように、出張のたびに受付男のデスクにお土産を置く。
その受付男が熊売りを眺めている。随分長く眺めているため、受付が手薄となったので私が来ている。私は受付男の助手なのであった。
そういう私も熊を眺めたくてしようがない。
それはそれは可愛い熊なのである。
And
may you stay foever young…
2.
受付男については一つはなしがある。
こんな話である。
受付男は会社の近くにある商店街に、ごくごくたまに訪れることがある。駄菓子とか、たわしとか、消しゴムとか、単価の安い買い物しかしないが、受付男が買い物をする、ただ一つの場所である。
その日も受付男は、小さな稲荷が右隣にある駄菓子屋で、どぎつい色のついたゼリーを小銭で買っていた。小学校の下校時間だったので、数人の子供達が受け付け男とともに、生きているのか死んでいるのか分からないような老婆の店主から、同様の体に悪い奇妙でうつくしい食べ物を買い食いしていた。
その子供達が駄菓子屋の敷居を跨いで近くの公園へと向かおうとしたときである。
パンダがやってきた。
白と黒のツートンの、まごうかたなきそのパンダは、直立二足歩行で、子供達に向かい、なにやら可愛らしい仕草をくりかえしながら、ゆっくりと歩み寄ってきたのである。手には安っぽいビニールの風船すら握っていた。
子供達は当然大きな歓喜の声をあげながら、パンダの着ぐるみを着たその何者かに向かって駆け寄った。
其の様子を、冷徹にみつめていた受付男は、一番はじめにパンダに駆け寄った子供がパンダと接触する前に、地面を蹴って飛び出した。
「それで?」
「うん」
「それでどうしたの?」
「とび蹴り」
「え」
「とび蹴りをしたんだよ」
受付男のとび蹴りは、パンダの肩あたりに綺麗に決まり、パンダは商店街のタイルで描かれた花模様の地面にどう、と倒れた。パンだの頭が外れ、うすくなった頭に曖昧なパーマをかけた中年男が現れた。
男は着ぐるみの腕に器用に出刃を隠し持っていたという。
「どうしてわかったの?」
「それはね」
受付男の語るところによると、それはこういうことであった。
受付男は、子供達の歓声を聞きつけて嬉嬉として駄菓子屋からでてきた(なぜなら受付男はパンダが大好きだったからである)。
そして子供達に鷹揚に近づいてくるパンダを見ていた。そのとき。
「なぜだかわからないけれど、とても深い憎しみを感じたんだよ。パンダが邪悪なものだと分かったわけではないんだ。それは全く個人的な憎しみだったんだ。たとえば昔喧嘩した友達や、謂れのないいじめを受けたときの屈辱や、親に否定された思い出とか、品の悪いエゴイストの教師とかが次から次へととどめようも無く思い出されて、それは次第に形の無い観念的な憎しみに育っていったんだ。
このままこの憎しみに耐えていたら、僕は際限なく磨り減っていくのではないかと其のとき思った。磨り減らないために、自分の周りにあるものを何から何まで破壊してしまいそうだった。そして肝心なのは、何をどんな風に破壊しようとも、この憎しみからは逃れられないということなんだ。それはなくならないんだ。永遠に」
短い時間の間に、体の内側から湧き上がってきた其の憎しみのために、受付男は震えた。そして何を考える暇も無いまま、パンダに向かって飛び出していたのであった。
「それで」
「憎しみは消えたの」
「消えないさ」
それが、受付男の話である。
3.
熊売りと受付男は「フォー・エヴァー・ヤング」を唱和し終え、次に「ノット・ダーク・イエット」を唄い始めた。
切ない歌である。
「闇が迫ってきている
わたしは一日中ずっとここにいた
眠るには暑すぎ、時間はどんどん過ぎ去っていく
自分の魂がはがねになってしまったように思える」
この歌は私にいつもハワイを思い出させる。でも私はハワイになんていったことがないのだ。そのことは私をより切なくさせる。行ったこともない場所のことを、こんなところで思っている自分は、とても不幸な人間に思える。
ともかくこの歌は、私にハワイの夕暮れを思い出させる。
「人間的な私の感性はどぶに流されていってしまった
美しいものは、どんなものであれその奥に何らかの痛みを宿している」
熊は音楽にあやされて眠っているようである。見れば見るほど可愛い熊だ。ハニーブラウンの毛皮はあくまでふかふかとして、大きな手のひらは無防備に上を向いている。私も(たぶん)受付男も熊が欲しいけれど、買わないだろうことは分かりきっていた。
私たちの生活は、(たとえ受付男であろうとも)熊を一頭所有するにはあまりに現実的過ぎるのだ。
「わたしはここで生まれ、自らの意思に反して此処で死んでいく
わたしは動いているように見えるけれど、じっとしたままなんだ」
終業時間になると、熊売りはゆっくりと店じまいを始めた。これから夜間営業の銭湯に行くのだという。「熊も入るの」と聞くと、「いや、熊は入らない」という。多くは語りたくないようである。
あんた歌上手かったよ、と受付男に言い残して、熊売りは去っていった。去っていってから、熊売りがいちども熊を買えといわなかったことを不思議に思った。「暗くならないうちに、君も帰んなさいよ」もはや夕闇に沈まんとするロビーで、受付男が言った。
It’s not dark yet, but It’s getting there.
(まだすっかりくらくはなっていないけど、じきにそうなる・・・)
BOB DYLAN ”FOREVER YOUNG” ”NOT DARK YET”(「ノット・ダーク・イエット」対訳:中川五郎、"THE Best of BOB DYLAN volume2”より)
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かえる
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ルパン漫画(銭湯編)
モドリ
下駄箱
モドル |
辞表について
辞表・・・辞表って何?と私は火曜日から私のうちに棲みついているアカネさんに聞いてみる。
じひょうったら、あれよ、マリコちゃん紙よ。
紙?
そう、会社辞めるときに出す紙。
ああ、といい加減にうなずきながら私はパンにドイツのマーブルクリームを塗る。チョコとバニラの匂いが辺りに満ちる。
なんて書けばいいの、その紙に。(パンをかじる)
やあだ、マリコちゃんなに言っているの、当たり前じゃないのそんなこと、がははははははははははは、とアカネさんが笑う。
辞めるって書けばいいのよ。
ああ。
アカネさんは左手の小指に丹念にマーブルクリーム色のマニキュアを塗っている。シアーチョコレートにパールホワイト。私はパンの残りの一口を飲み込む。
そして辞表を書くことを考える。真っ白い紙に(和紙がいいな)、墨書でくっきりと「辞めます」と書く。敬語はめんどくさいな、「辞める」でいいや。
私はコーヒーを飲む。それから煙草を吸う。
悪くない、と思う。全然悪くない。
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モドル? |
コン
今日は久方ぶりにパソコンをいじっております。
やっと休みです。
今週はいろいろとあって少し疲れました。
なに、何があったのよ、マリコちゃん。
あらアカネさん。
アカネさんはコンを焼いている。コンは魚偏に「昆」と書く。怪魚である。
食べると不老となり容色は増し便秘が治る、と言われて近所の魚屋に押し付けられたのだ、とアカネさんは言う。
焼かれている姿を見る限りでは、コンはおおむね鯖に似ている。油が多いところなんかも、鯖である。
鯖ね、と私が言うと、鯖よ、とこともなげにアカネさんは言う。
それでいくらとられたの。
それがね、とられなかったのよ。
え。
只だったの。
眉根を曇らす。只だから、と言う。
只だから余計怪しいのよね。
怪しいわね。
それでも焼いてしまったものは仕方がない。幸い腐ってはいないようなので、私は大急ぎで大根を卸した。
コンはやはり鯖の味だった。食べれば食べるほど鯖だった。
鯖ねえ、と私が言うと、大根に大量のしょうゆを投入しながら、アカネさんもまた鯖ねえ、と呟いた。
不老になったらどうする、とアカネさんは言う。
どうしよう。いくらも考えずに私は思考を放棄する。便秘が直るほうが、良いんじゃないの。
やめてよ、食べているのに、がはははははは、とアカネさんが笑う。
余ったコンは猫に放った。猫はこんなものを食べなくても不老だろう、と思った。
不老だったって、アカネさんが言う。不老だったっていつかは死ぬのよね。
そうね。若い顔して死ぬのよね。
いいのかしら。
さあ、良いんじゃないの。
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モドル!! |
次元大介の夜
暗い。くらいは三種類ある、と次元大介は思う。
黒い(くらい)、暗い、昏い、だな、と思う。今は昏いだ。視界の隅は青い闇だ。青い?それは青と緑の混じったような闇だ。
昏いは可視の暗闇だ。暗いは不分明の暗闇だ。
これから暗いがきてその次が黒いだ。黒いは不可視だ。四方八方めくらの闇だ。これがきたら後がない。
へえ、そうかい。
目を開けると青い光の中に女がいる。美しい女だ。
生きてたろう。
女が言う。よく見ると、それは顔が美しいので老けて見えるだけの子供だった。
生きてたな。
次元は言う。腹から血が出ている。腹に小指の先くらいの小さな穴が開いていて、そこから止め処もなく血が流れている。
小さな傷だけれど、奥はもっとずっと傷ついている。自分が死ぬのが眼で見てわかる。
硬い壁によっかかって背中を曲げているので、それは本を読むようによくわかる。
血が止め処もなく流れて、俺は今死んでいこうとしている。
お前は誰だ、娘が尋ねた。名前を教えなさい。娘は高飛車な口を利く。
次元大介。
ふん、大層な名前だ。どうしてそんな髭を生やしている。
うるさい、と言う言葉が出ない。どうせなら声も出なければ良いのにな、と次元は思う。
どうしてだ、どうしてだ、次元の上に食いつくように覆いかぶさって、娘は聞いてくる。大きな眼をしている。海みたいだ。
どうしてか思い出せない。いつから俺はこんな髭を生やし始めたんだろう?ジェームズ・コバーンが好きだったからだろうか?
しかしコバーンはこんな髭は生やしていなかった。
髭を生やしていないと・・・次元は娘の目に向かって言う。そこには漣すら立っているような気がしてくる。
誰だか分からないからだ。
娘が尻餅をついた。なんだと、怒ったようだ。
なんだと、ふざけるな、お前は人を何だと思っているのだ。すっくと立ち上がる。
お前の体がどのくらい特殊で難解で融通が利かないか知ってるのか、
あとなんまんかい生まれ変わったって、そんなに立派な体はできないぞ、
このひろい広い世の中を一世三千世界くまなく探し回ったって、金のわらじを履いたって、絶対に見つからないぞ、絶対にだ!!
娘の咆哮が夜を揺るがす。次元は身をひそめた。死にそうで、疲れて、気が弱くなっている。全く弱くなっている。
気づくと娘はニヤニヤと笑っていた。
その点、その点私はすごいのだ。私はそれはもう単純にできている。いちまんにん私が欲しいと思ったら、すぐに作れる。
いちまんにんだぞ、すごいだろう。
得意げである。そうかい、と次元はつぶやく。
ところで少し眠ったがいい。娘が言った。寝てる間に傷がふさがるかも知れんぞ。
ばかやろう、そんなわけあるか、次元は言ったが、ふぁかやるぅ、ほおんんあああ、としか聞こえない。
どうやら俺は眠いようだ。
寝てる間に死ぬかもしれない。黒いがやってくる前に自分で帳を下ろすのも悪くはない。
消えていく意識の隅で、娘が、いちまんにんほしいやつがいないのが問題だ、とかなんとか言っているのだけが、わかった。
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夢に、娘が出てきた。おきているときに見た娘とは別人のようである。どのくらい違うかと言うと、50メートルは違う。
巨大な娘が一万人、町を闊歩する夢だった。
ビルを払い、道を潰し、バイパスを踏み抜き、運河をあふれさせる。娘の足跡で町は埋め尽くされた。
なぜか次元だけは無事である。鉄橋の上にのぼって、娘に声をかける。
どうした、どこいくんだ?
娘の一人が100万倍くらいの眼で次元を見つける。
ほんとに一万人いるんだな。だれが欲しがったんだ?
知るか、娘が吼える。娘の声で鉄橋が震え、次元の帽子を吹き飛ばす。帽子を惜しがる気持ちもない。
これは夢だ、と次元は知っている。
知るか、誰が欲しがるか。娘は吼えて、それから泣き出した。
50メートルプール一杯分くらいの涙が町に降り注ぐ。橋を濡らし、道に流れ、バイパスを伝って、運河をあふれさせる。
いつの間にか、一万人全てが泣いている。
「おおい、聞こえるか?次元」
ルパンの声で眼が覚める。タイピンが無線機になっている。
目の前に、娘が寝ている。50年前くらいからずっと寝ている、と言う顔をしている。
触ってみると、脈がない。呼吸もない。心拍もない。
青い光はいつのまにか消えていて、古くなって曇った水槽が林立している。これは廃工場か廃倉庫か物置か。
「聞こえてるぞ、今どこだ」
水槽は中が全然見えないが、水が入っているようだ。
「すぐ迎えに行く、待ってろ次元」
いちまんにん、と次元は思う。傷がいつのまにかふさがっているが、次元は気づかない。
気がつかないで、ルパンを呼び続けている。
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オワリ
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